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A LOST AND FOUND

色々なものを失くしてきたような気がします。

役にたたないからという考え方で生きていけるのか。

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よく子供相談室ではないが、「どうして役にたちそうもない勉強をしなきゃならないのか」、とかもっと断定的に「役に立たねえだろう」とか目にするが、

この世界に、様々な色んな社会があって、アクセスするためのインフラが良好に機能しているので、しかも日本は、日本のパスポートさえ持っていればもう、

という感じなので、いいんじゃないでしょうか、そういうお考えの方がいらっしゃっても。

個人的には、年をとれば益々、あのころ勉強していればなぁ、という感慨に、じゃないよ、そうは思うけどさ、役にたつか役にたたないか、わからねえから今でも勉強しているんじゃん!

すでのその年で、「役にたたない」と言い切れる力強さは、自分には全くありません。

歴史だとか古文だとか、実用的かといえば、今の自分の中では実用度は低いです。

ところがお仕事って、やってみればわかりますが、「富」を得ている、事業がまがりなりも成功している、失敗していたとしても、

そういう方々は、ほぼほぼ全力で、全て、あらゆるジャンルを勉強しております。というより、そういう姿勢で全てに臨んでおります。

歴史だとか、古文だとか、若くても年取っていても、もうきらんきらん目を輝かせて人の話を聞くは、語るはで、感銘を受けていたものです。

で、全てがどうのと言うつもりはさらさらありません。

ほぼほぼ、そういう方が多かったと。

まぁ、振る話題によっては、「地雷」を踏んで、とても大変な時間を費やしたこともいい思い出でもありましたが、

ええ、役に立つとか立たないとか、その時点においてかなり実用的か実用的ではないかというレベルで、そもそも、若い時分において、今の自分のやっていることなんて、全く考えもついておりません。

わかっていたら、そういう勉強していました。いや、やっている最中です。

で、若くして「役に立たない」ものについて断定的に否定し、勉強なるものを、いや、矮小的に「授業的な勉強」というものにこだわりを持って「拒否」しているお考えの方々ですが、

なかなかこの日本において、浮上感がない、方々が多いです。

いやむしろ、こういう方々に多い考え方なのかもしれませんが、細かく拒絶るんですよね、色々と。考え方の間口が結構狭いし、俺にとっては意味がないという、孤高のなんとかみたいな姿勢の方がいますね。

間口の狭いというのは、非常に観念的で申し訳ないですが、もっと言うと、そのくせ「俺語り」が大好き。食いついたら、人の話題を全部盗っていく感じ。

役に立たないがお口に大好きな人に限って、役に立たない自分というものにはてんで配慮が感じられないんですよね。どうなのかしら?

そのくせ、使ってみなければわからないじゃないか!という売り込み口調をよく聞きますが、

そうなんです、極めもせずに、やり続けることもせず、役に立たないという見極めは、どういう考え方で出てくるのでしょうか?

もちろん、いると思います。このような世の中のことですから。若い時分から、色んな要因があったとは思いますが、役に立つもの立たないものを明確にしてご成功されている方。

自分としては、そういう方の生き筋ですら、何かを学べる気がいたしますが。