弱者を特定したら、とことんそれに寄り添う芸風もありっちゃ、ありなんだろうけど。辛いです。
池上正樹さんの築地、豊洲移転問題の記事を拝見したのだが、そこをたどって出てきたのがこの記事。「無敵」のひろゆきさんと、いったいどのような対談をしたのか、ものすごく興味があって読ませていただきました。
が、ものすごくがっかりいたしました。
いや、なんでこういう対談をひろゆきさんが受けたのか、というくらい、自分の理解力がないのかなぁ。
そもそも「ひきこもり」の状態が、ネットやらゲームやらをになが延々と見続けている彼ら、彼女らの精神状態が理解不能だから、そもそもその「権化」であろうひろゆきさんに聞いてみたら、彼らの「構造」の一部なりとも、理解の手掛かりがしめされるんじゃないのか、という感じが充満。
さらに働く=お金を稼ぐという方程式?をタイトルにあげておりますが、こんなこと言ってましたっけ?
ひろゆきさんは、単にネットやらで、時間を「消費」しているだけではなんだかなぁと、何に興味があって、何をしているのか、「半日でも後ろに立ってみていればいいのに」と言わせてしまうくらい、あのひろゆきさんの舌鋒に行きつく前の展開。
本当は、優しい方だったんだ(笑)。
要は「当事者」の親たちも、それをレポートする池上さんも、どっちにしても「子供」が見えてない気がしてしょうがない。でなかったら、ひろゆきさんと対談してないし。ごめんなさい。本を読んでいない自分も悪いんですが。
「子供のことが好きじゃないんじゃないでしょうか」というひろゆきさんの発言こそが、そもそもの本質なんじゃないかと思うんですが、どうも池上さん、そこに踏み込めない。
親の画一的な子供への「期待」をそこそこその原因として挙げていますが、「お前の育て方が悪かったんだよ」という子の声にどうすれば?に、ひろゆきさんは「謝っていいんじゃないでしょうか」。
それで、その問題がクリアになれば、次の問題に取り組めますから。
普通はこういう「思考展開」になりますが。まさに「王道」の考え方、ひろゆきさんも文中、そう言っておりましたが、
親が悪くね?そういう意味では。
ただ、一方的にそこにいきついてしまうと、子育て論議が始末に負えない展開になってしまうし、様々な議論を尽くさなければ、人類100万年の歴史における悠久の当たり前の現象すら、脇に外れた展開になってしまうので、自分も踏み込めません。
なのに、この働く=お金を稼ぐという考え方の否定こそが、引きこもりを脱出し、社会との接点をもたせるためのキーワードって、まじですか?
そういう「ひきこもり」に似た作業をしているという立場なひろゆきさんが、だからなにという流れに、人と合わなくても、社会に接点をもって、それなりの活動ができる。
さらにそもそもこの世界には「様々な選択肢」があるんだから、そもそも「ひきこもり」という現象自体をネガティブにとらえることも、そもそもおかしいんじゃないの?
この人たちが、将来的に、団塊の世代の方々よりも、もっと強力な「国の援助依存」集団になるのが、怖いのであって、国家破たんないし、どうしようもなくなって援助できなくなる可能性が大である将来において、
どうすれば生産性、いや、少なくても税金を払って、もしくは年金や社保を負担してもらえるかが、やっぱり大前提で、
それは、端的に言って、仕事をしてもらうしかない訳で、
お金を稼いで、納税してもらうしかない訳で、
そのための議論を深めるというのなら、わくわくして読むことができる。
が、このいちいちの実例集をかき集めたところで、何か、合理的な議論、生産的な議論ができるのかしら?
なんか、豊洲移転問題も、この、あまりにも表層的な「弱者を特定したら、とことんそこに寄り添って、生産的な議論にならない」という感じが漂っていて、
どうもつらいです。