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A LOST AND FOUND

色々なものを失くしてきたような気がします。

子供を一人で外出させていい国だからこそ、起きる問題だよね。

社会に関して

suumo.jp

挨拶がどういう意味をもつのか、色々な話があって、自分的に一番理解しやすかったのは、リンクははれないんですが、

自分は敵ではないよと、どうあれ、日本では考えにくいことなんだが、相当数の人間がひしめき合っての環境ではなかなか生じない世界。長い世代を経てきた「集団」では、イメージしにくい環境。

そう、そういう大陸っていうのかな、人間同士でも違う部族なり、集団なりが生きるために必死になっていた環境下で、敵か味方を宣言しなければ、攻撃を受けて当たり前という世界が確かにあったと。

挨拶はその流れを汲んで育ってきた「様式」だとのこと。

真偽はともかく、エレベーターでさえ、外国に行くと、乗り合わせるときでさえ、にっこりとほほ笑んで、挨拶をしてくるのは、最初のころは慣れなかったなぁ。

ハワイでは、ゴルフのスタート前で、練習場にて打ちっぱなしをしていたところ、横のゲージに来た方が、当たり前のように挨拶をしてくる。

さらに、時間が迫ってきたので、余しているボールをプレゼントしたら、「私はOOです、ありがとうね」と名前まで名乗られたのには驚いた。こっちの方々は、こういうコミュニケーションをしているんだなと若いころ思ったものでした。

挨拶は、自分を守るため、相手に不信感を持たせないための言語ツールなんだと、理解しておりました。

が、どうやら日本では、挨拶こそが、何らかの犯罪を誘引させるという恐るべし!

 

diamond.jp

上記の記事は、個人的にも、へーーーーー!というくらい知らなかった内容なので、大事にしておりましたが、

子供の育て方、欧米では個室を与え、自立を植え付けなんて考えをそのまんま信じておりましたが、すげーーー大変じゃん。

ある程度の年齢まで、子供を一人にしていると、虐待として、最悪子供を隔離されてしまうという話。どんだけシステムが確立しているんだよという。

日本では、未だに虐待の「可能性」を指摘されても、なかなか「親権」というのか子供を「救出」するために、乗り越えなければならない要素が多すぎる。まだまだ強制力が担保されていない。

アメリカでは、「有無を言わせない」のが、凄すぎる。

こう見てくると、日本では、あまりにも平和で安全。

子供が一人で屋外で遊んでいられる。電車に乗る。通学する。ともすれば、海外では驚きをもって、日本の安全とともに語られるが、こういう記事をみると、幼少の時期に一人で屋外に出させるという事事態、「虐待なんだ」という文化の国から見ての「反応」だったんだと、最近気づきました。

そういう意味で、そもそも挨拶をしてくる人間がどういう奴なのかを、その場でジャッジできる親がいなければ、それはその通りというだけで、

その「共同体」において、それをルール化するんであれば、逆に「挨拶をしてくる人間が悪」という、それだけのシステムなんではなかろうか。それを日本全体として議論するには、ちょっと違うんじゃないかと。

もう、日本は均質で同質の文化ではなくなっていると、随分前から言われているんじゃなかったけ?