ギャンブル依存症の「元栓」としていたサラ金が閉じた以上、規制に伴って劇的な効果あったんじゃないの?
自分に関して簡単に言うと、お金が無い、お金を用意できないとギャンブルはできないというのが本当のところで、
個人的な感覚で言うと、ギャンブル依存症など、最近、様々な研究が発表されているが、昔ほど、盛り上がっていないのは、現在進行中のギャンブル依存症と言われている人間が、昔より激減しているからだと思う。
研究の調査項目を見てみると、こういうことがあったかどうか、そういう聞き方をしていることが多く、どの自己診断をしてみても、「病的なギャンブラー」として判定されてしまう。あはははは。もう、典型的なギャンブル依存症らしい。
ところが、今現在は、私、パチンコ店に行くほどの「軍資金」が用意できない。
なので、そもそも行くことができない。
その結果、自己診断では依存症なんであろうが、それに依存できる状況ではない。
そういうものだと思うんですが、いかがでしょうか?
そういう意味で、個人的に多分この問題を考えるとすれば、お金、資金を閉ざせば、この依存症は、物理的にパチンコに向かわなくなるのではないか?
はい、劇的に環境なり、状況を買えたのが、例のサラ金規制法です。
もうね、かなり多くの方が、この旧サラ金に、ギャンブルというよりは「サラ金に依存しておりました」。
パチンコ屋さんの横には、必ずサラ金のATMが。ありましたねぇ。もう、大繁盛していましたよ。もう、誰もが言いませんでしたが、これが「元栓」だったと、当時の方は誰もがそう思っておりましたし、言っていました。
つまり、「ザル」だった審査が、かなり厳密になって、もう、適当には貸しませんし、何枚のカードを持っていたとしても、合算して「規定収入」を超えての融資は、事実上できませんので、そういう意味で「依存」に耐えられる資金を供給できないのです。
家族を不幸にするとか、関係者を巻き込むとか、そういう人間関係が破壊的になる事例はあるでしょうし、「やる金欲しさ」に盗みを働くとか、そういう事例もあると思います。
が、ここにきて、多分、多分、酒が欲しくてとか、そういうレベルの犯罪と実数は変わらなくなってきているんじゃないかと思っております。
ではなぜに、サラ金が「機能」していた時に「依存症」がパチンコにマックス乗っかってきていたかというと、
①収入が無いのに、いくらでも貸した。
②何社も発行していたので、結構な期間「自転車操業」が可能だった。
③ただ、返済が滞った場合、物理的な追い込みは凄かった。
④追い込みをかけられると、かけられた分だけ脳内なんとかがさらにブーストしてさらに取り戻そうという精神状況に追い込まれる。
⑤しかもアクセスできる「場」がそこいらにあるわ、おまけに取り戻して余りある「出玉」がそこいらで目にでき、なおかつ始終煽りに煽っていたわけで、メーカーもユーザーの嗜好を満たすためにとの大義名分を旗印に掲げ、ガンガン新台を開発していたし。
⑥ところが、取り戻しなどは、実現するわけもなく、一方追い込みは血縁親類友人に及ぶことが多く、こうなると債務者と債権者との壊滅的なやりとりはすべてを不幸にする。
⑦本人の破滅は、自爆なのか、巻き込み型なのかによって、出来上がる状況は異なるが、これこそ「ギャンブル依存症」が巻き起こす悲劇として、繰り返してはならないとされる一連の状況。
ところが、
①お金を貸さない
②カード審査が通らない
③よって個人縁者か、闇金と言われる、返せないと一発退場を覚悟しないといけない、もうダイレクトすぎて、ほぼほぼ犯罪を意識しないといけない経路。
④よって追い込みをかけるのは、自分の脳内だけ。他人が契機になることはあまりない。
⑤だんだん件数が少なくなり、出玉も規制され、一発で20万円だとか100万円が手に入る出玉が事実上なくなってきている。要は、極めて元が取れにくいし、夢が見れない仕様に変更されいる。
⑥細かい敗北が、積み上がる仕様になってきている一方で、爆勝ちは望めないので、そもそも依存を引き起こす脳内なんとかが出にくい仕様になってきている。
⑦本人は、もともと「共依存」的な成り行きの方が多いので、酒、他のギャンブルなど、別の何か依存できるものを求めてさまよう。
という気がしてならない。
いや、本当に最近のそしてこれからのパチンコは、誰もが危惧するくらい、つまらないんだって。もう、簡単に言うと、ゲームセンターのゲーム機程度の、高齢者の暇つぶしのための遊具に成り下がってきている。
これは、この業界、大変だぞ。