10年前、うちにも猫がいました。
猫を亡くしてから10年が経とうとしていますが、今もってしても、ありきたりのことしか言えません。
ありがとね。いてくれて。
もともと犬好きでしたが、子供が小さい頃によく行っていたアミューズメント施設の近くにあったペットショップ。何回か行くうちに、ガラスゲージの中にいたこの子が、うちの子になりました。もう、かわいくって、かわいくって。
血統書付きの(笑)ロシアンブルーということでしたが、それ抜きにして、本当にかわいい猫でした。
8歳の時に、FIPだと思うんですが、お腹をぱんぱんに膨らませて、何度も病院に駆け込みましたが、叶わず、最後は自宅で息を引き取りました。
とにかく暇さえあれば、人の足の上で、人の体の上で、人の肩の上でと、常に寄せ合っていることが普段で、帰宅すると、必ずお出迎えする「お出迎え猫」でした。
サイレントキャットという「肩書」でしたが、よく喋りました。ええ、妻とはよく、「会話」をしていました。ご飯係と、トイレ掃除係は私だったのにも関わらず(笑)。
階段をのぼりながら、振り向いてはニャーと。
我々には「ママ」としか聞こえない!というのも、猫飼いであれば常なんですが、「猫は人の言葉をしゃべります」なんで、いつも寝室へ妻を「強引」に連れていきます。
「まーだ?まーだ?まーま!まーま!上に行くです!」って。
10分すると、「寝かしつけて」妻が、忍び足で降りてきますが、本当に、その一つ一つが、心に残る日常でした。
自分は、猫のおかげで、笑えますが「無償の愛」が、おぼろげながら、なんなのか、理解できたように思えます。
本当に、好きであったら、ギブアンドテイクなんてものはありません。オールギブです。
もちろん、自分が心を許した相手ですから、理不尽であったり、悪意を前面に出す、そういう奴なんておりません。そこは、自分を信じております。
こちらが「お世話を申し上げている」という境地は、今では、傍らの相方に、全てを援用させていただいております。師匠ですね。猫は。
ええ、愛の境地とは、求めることではありません。無償の思いを、常に、自分の中に受け入れる、笑みが伴う相手への行為です。
顔を合わすとき、出迎える時、自分は、以降、必ず「笑み」を。いつしか、本当に、瞬間を、一期一会にすることができました。相方が、どう思っているかは存じませんけど。
人のせいにしない。
比べてはならない。(人とかものとか)
言い訳をしてはならない。
そして笑みを絶やしてはならない。
人間様と共に生きていくについては、非常に肝要な話だと思います。
特に子を持った時、子とともに生活をするときには、常に心においていた言葉です。
親がした態度、親がした言葉、子が真似をしないわけないですよね。
そして猫を大事にしなくてはならない。
もっと、写真を撮っておけばよかった。新年を迎える前に、こんなことを、、、。