字数制限って、そのまんま誤解を与えかねない、コミュニケーションは語彙数によるよね。
よくボキャブラリーについて、語彙数について、考えたり話をしたりすることがあるんだけど、
コミュニケーションは、人として社会活動をするうえで、めちゃくちゃ大事なことで、言葉を知っているかどうかで、局面が大きく変わる。
昔、ビーバップハイスクールかなぁ?「おうよ」という単語だけで、すべての感情表現やら、「会話」を成立させてしまう登場人物がいて、いまだに感慨深くて覚えているんだけど、
その後、色々と自分なりに本を読んだり、考えるにつけて、
自分を語るにしても、相手を理解するにしても、言葉を知らなければ、もう、単純明快で、「好き」か「嫌い」しか、表現もできないという、そういうことになってしまうんだなぁ、とつくづく思ったものでした。
相手が発した一言も、よく使われる女の子が男の子に向かって言う「嫌いだ」にしても、
どういう場面で、どういう時間帯で、どういう場所でっていう簡単な要素だけでも、使い方やら使われ方って違うわけで、
その子の「情報」が少なければ、理解できる幅が小さいし、情報が多ければ、ほぼ間違いなく、今、彼女が発したこの言葉の真意は多分、で、瞬時にお互いが理解しあえると思うんだけど、
それも、あれも、言葉。ボキャブラリーが少なければ、そのTPOひとつとっても、駅、晴れ、夕方、じゃぁ、繊細な言い方しても、ほぼ無効!
伝える方も、受け止める方も、それぞれが、ボキャが少なければ、もう、スーパーでお見掛けする悲惨な「親子」の
「やめろって言ってんだよ。」「いやだ」「こっちこい」「いやだ」「うるさいっていってんだよ」「いやだ」
みんな期せずして平仮名にしてしまったけど、そういうことで、
このまんま数年たっても、XXしろよ! YES or NO 程度の、恐るべき会話が、聞いてる方は、ほぼ暴力的なコミュニケーションにしかとれない感じなんだけど、そうなるよね。
ああ、つまり、このきゃりーぱみゅぱみゅの児相の問題だって、字数制限があってのことでと言い訳もできるんだけど、
「自分でも、何度も、幼い子供が助けを求めても、助けられない、そんなニュースをみて、必ず取り上げられる児相の対応なんだけど、いつも心が痛いし、悲しくなる。こんなに解決できないものだったら、今の児相ではなくて、別の、必ず救えるようなものを作っていくべきではないかと思うわ」
だったら、ここまで、炎上することはなかったのではないかと、数分程度だけど、思ってしまった訳です。
まさか、きゃりーぱみゅぱみゅが、台風によって、甚大な被害が出ました。安倍のせいだ!地震が起きました、安倍のせいだ!という、よくいる左翼の思考の方とは、とても思えないんで、ツイッターの字数。つまりボキャブラリーの話に、近いもんだよなぁって、つい思ってしまった訳で、
なんか、昔、読んだ本で、標準で3000語。5000語あれば、OKみたいな。だから何?ってこともあるんだけどさ。