「SMAP」は会社の事情があるにせよ、飯島さんを切り離した時点で解散したようなものだったはず。
色々な立場があって、それぞれの利害関係がある中で、それに沿った話をすることが必要な場合があるもので、
当然ながら、その情報によって、たとえそれがその場しのぎの偏ったものだとしても、心落ち着く人が少なからずいる。
絶対ということは、それぞれの立場において絶対であって、これほど生存するための手段なり、方法が多岐にわたってくると、絶対の数も相応に増えてくる。
20年以上も一線をキープし続けたグループが解散する。
WEBでも、それを巡って、それぞれの関係者やらが、それぞれに情報を発信する。
その時点では、正であったかもしれないが、次の時点では、違うこともまたよくあることで、人間の葛藤は、接する状況や、接する人間によって、また、同じ人間であっても違う反応を示したりするもので、
誤解は、利害関係者が多くなれば、接する人間が多くなればなるほど、増殖してくるもので、減ることは、多分ない。
特に、20数年。信じられない長い時間。
我々は、いつのまにか、才能ある個人がいて、彼らはベースとしてグループを大切にしていると、
グループは始まりであったが、すでに、グループとして発信できるそれ以上ののものは歌以外に、コンサート以外に、多くはなかったような気がする。
個がこれほどまでに、グループ活動をはなれて、存在できたのは、そして評価をうけてきたのは、それをマネージメントした人間によるところが大きく、
誰がみても、誰が語ったとしても、この5人の個々を「育て上げ」た事実は変わらない。
5人ではなく、6人であったという話だ。
その6人目である人間を排除してしまった以上、グループはその時点で「解散」してしまったのであろう。
会社が、グループとしての管理を行う。マネージメントを継承しようとしても、それは本来のグループではなく、その人間の能力でもない。
もうすでに、違うものだ。
すでにSMAPは、その時点で終了していたのだ。
それに気が付いていないはずはない。そんなこと、当然の話だ。
会社の血縁関係者による継承において、こうせざるを得ない事情があったのだろう。
いや、そうなるとわかっていても、こういう手段に出ざるを得ない、そういうことはこの世の中、1部上場企業でさえもよくよく起こりうる話だ。
ただ、事実として、失ったものは果てしなく大きい。
そう思わざるを得ない。
ご苦労様でした。