A LOST AND FOUND

色々なものを失くしてきたような気がします。

24時間を目いっぱい使い切る社会が、ちょっと戻りそうな予感。少子化もまずはここからな気がする。

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1980年代。オイルショックなんかがあったりして、学生も就職氷河期、いくつもの会社が、事業が滞り、倒産だ、不況だと、そういう時代があった。

1990年にいわゆるバブルというものが瞬間あって、株だ、不動産だと、そういう話題に終始しがちで、結構な社会的な構造変化があったことが意外と議論されていないように思う。

この20年で、相当、社会の仕組みが変わったんではなかろうか。思いつきなんだがそう思わざるを得ない。

 

1980年といえば、1970年に万博が大坂で行われ、未来というものが、物凄く輝かしく、「期待」を膨らませるような語感があった。そういう絵画の展覧会においても、今でこそ、小学生でも「整合性がとれていない」とか、普通に生意気いいよるけど、

その当時の描く未来は、結構奇天烈ではあったし、使う色使いもホットカラーが多かったけど、「想像力」が規制されていない分、面白かった。

 

その未来がまず成しえたのは、簡単に言うと、日本人が24時間を、余すことなく使い切るということだった。

深夜という単語が、昔は夜の10時ぐらいを意味していたように思うが、今は2時とか3時とか、それ、明け方やんというくらい、今は、全てがそれぞれに活動時間帯として存在している気がする。

 

ええ、人が、そもそも足りている訳ないじゃん。

 

そう思いません?

 

1980年に、コンビニといったら、サンチェーンとかニコマートとか、今では何かの前身だったチェーン店があって、不況時代における「再就職先」として、ファミレスとともに「救世主」として伝説をつくった。

当時は、全共闘世代が、ものすごく多かった。コーヒーレストランとして割とカジュアルでチープな感じだったデニーズには、高学歴だが、全共闘として躓いた感たっぷりの世代が店長、マネージャーとして活躍していた。再就職先だね。

 

端折るけど、たまたま「人口ボーナス」で、団塊ジュニアが大量に社会人化したおかげで、それと、リクルート系が「転職」「フリーター」を流行らせ、支持されたおかげで、つまり、サービス産業という、これまた究極の「労働集約体」が、大量に社会に出現した。

第3次産業には、色々な業種があろうかと思うんだが、個人的に言えば、核家族とはいえ、家族を持つ、そういう社会モデルは、この80年を最後にして、どうも随分変わったように思う。

だって、夜の7時に全員が食卓に着いて、食事をするなんて、今の仕事をしていると結構な無理ゲーでしょ。

子供自体、その教育環境が80年以前の時間帯系に乗っているんで、親が、そういう時間帯に生活していないわけだし、

もっといえば、若者自体、24時間の中で、どこの時間に存在しているかによって、共に生活できるかどうかになってしまう。

 

価値観が合わないの。とかいうの以前の問題で、時間があいません。曜日が合いません。

これで、どうやって「つがいを作れ」っていうのかしら?

晩婚化とか、出生率の低下とか、当然問題視されなくてはいけないと思うんだけど、そもそも、共に生活を営む上での、社会構造がここまで複雑化してしまうと、それに応じた哲学とか、システムとか、考えてやっていかないと、種族としての衰退がはじまってしまうんじゃないかと、普通に思います。

フランスのように?生まれた子供は、社会で育てるみたいな、もしくは、アメリカのように、腹を括って、子育てをする家族を、全力でリスペクトするとか、そうしないと、間違いなく衰退するよねって、遅いよね、もうしてるし!

 

もう、後出しじゃんけんのように、この段階で言えば、ほぼほぼ間違いない話ができる、そういう典型なんだけど、

コンビニが24時間を止めて、「不便が当たり前」という社会を、普通なこととして容認できる国にしておかないと、下げ止まりはないかもしれない、かも。