A LOST AND FOUND

色々なものを失くしてきたような気がします。

老人福祉とか、子育て環境は当然としても、なんで新婚さんいらっしゃいみたいなノリが難しいのか。

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お叱り覚悟で言うのであれば、という前提でしか話ができない。

もちろん、詳しく本を読んでいないし、安易に横から話をすべきだとは思わないのだが、

最初、ふと思ったことがあって、特に若い女性の貧困。色々な原因やら要素はあると思うけれど、生き物として、なんで「つがい」にならないのだろうと思った。

一人の可能性やら、個性のすばらしさとか、世間様は相当「一人一人の存在意義」のハードルを、結果的にあげまくっているのだが、

一人では生きていけない。

一人では、そもそも、経済的にも物理的にも存在しにくい。

ということを、なんで、ちゃんと評価しないんだろうと、思った。

 

とにかく、一度きりの人生だから、日々、自分探しをすることへの誘いというか、その肯定感。

というか、自由を制限される、束縛される、そもそも赤の他人と一緒にいるくらいなら、というパワーワードが全開で、

結婚というか、2人で生きていくということのほうが、あり様として、「不自然」。

みたいなこのところの風潮。

 

その昔、一つの会社を末永く、定年まで勤めあげることを、まるで時代遅れのように喧伝して、フリーターだ、転職だという世界を完全に肯定的に構築した「求人誌」グループがいて、その「層」が見事にダメージを負っている。

それと似た感じ。

でも、どこの国でも、おおよそ似た感じの傾向なんで、もしかすると、そうやって、種族の閾値なんかがあって、なだらかに衰退していくのかもね。

 

というか、1人でだめだったら、2人で生きようよ。

 

大した牙も、筋肉も、夜目が効くわけでも、100メートル先の匂いとかわかるわけないんだから、違った、

「何これ、こんな数学、役にたつわけないんだから」といって、数学どころか、勉強すら嫌がって、それでなくとも「細い」弱者のために用意されているレールを放棄してきたわけだから、

あとは、体力勝負しかなくね?

大学出たけど、よりも、そもそもその学校に「入学」したけど、って、そっちが先に思わなきゃいけない展開だろうに。その大学から受ける恩恵がどの程度のもので、自分の戦闘力をどの程度あげられるか、みんな、随分、ロープレゲームやっている割には、フィードバックが足りなすぎです。

 

だって、パーティー組むじゃん。戦士と魔導士とか。

 

最低でも2人。

 

こういう、なんだろう、最低限のユニットづくりに、もっと、世間は温かく、そして、住まいとか、優先的に援助しておくべきだと思うよ。

そういう雰囲気作りは自治体で、しっかりとプログラム組むべきだと思うよ。老人福祉とか、子育て環境とか、必要だと思うけど、新婚さんいらっしゃいが、ベストな話だと、思ってくれないかなぁ。