国家公務員の数と我々の生活維持は、たぶん、イコールな事案だと思う。
リンクも貼りたくないので、そのまま書かせてもらうけれど、
公務員をクビにしないで増税するとかなめてんじゃねぇ
とかいう個人のブログがちょっと閲覧数をあげております。
よく、公務員と、ひとくくりにして論をすすめられる方々がおりますが、決まって、無能、ごくつぶし、無駄、無くてもいい、余っている!というフレーズとともに、なんでか、ほぼほぼ税金もお支払いになっていないような方々が噛みつきますが、
どうも、彼ら彼女らがイメージされているのが、市役所とか区役所。
ブログを多少みてみると、8割減らせば、市役所ががらがらで、質も高まるという文言もございまして、
ああ、基本的に、公務員という仕事が、ほとんど理解できていないんだろうと理解できます。
色々探してみましたが、これがまぁ、簡単に見通せるまとまった一覧になるんじゃないでしょうか?
言ってみれば、人が集団として生存している場所において、人が行う行為は、ほぼほぼ、それが善意であろうが悪意であろうが、意識的であろうが無意識であろうが、いや、必ず「他人」の利害を侵食します。
みんな、わかっているのかしら?
道を歩く、その、普通の行為ですら、あなたがとった行為は、行く先々で、歩いている行為が、ひょっとしたら、他者の利害を侵食しているかもしれないって、わかっているのかしら?
そういうもろもろの行為自体を、まぁ、しょうがないよね、それは、
という風にしているのが、いってみれば、道徳であったり、マナーであったり、集団的生活上、いさかいをなるべく起こさせない、調整的に未然に防ぐようにしているのが、その国、地域の培われてきた固有のセーフティー。
俺は俺だ!俺の自由だ!俺に意見するな!
という方々がたまさか出現して、世間をざわつかせますが、
たまたまそういう強気に出た場面において、相手方が、弱かったり、企業的に勝手におれてしまったりと、言ってみたらなんだか通っちゃった、みたいな「程度」で、強気を出せればまだしも、
そうでない局面に立たされた場合、反撃されて、追い込まれるケースも当然あるわけなんですが、
その場合、決まって言うセリフが、
国が守ってくれない。
その国って、誰のことなんでしょうか?
その実務をこなされているのは、まさにそういう方々が、思いっきり非難されている
公務員の方々です。
身近な、消防、防犯、衛生から始まって、オフィシャルに戦う局面で使用する裁判所から、店を出す、店で食べる、自転車買う、盗まれた、道に変なもの落ちている、汚れている、どうすんねん!、ゴミがでてるんだけど、家借りたいんだけど、水道光熱費どうすんねん、学校行くんだけど、などなど、
濃淡はございますが、ほぼほぼ、実務レベルを含めて必ず、公務員の仕事が関与してまいります。
なぜか、
人の生活様式が複雑になればなるほど、細かく、人同士の利害関係のトラブルが多くなってきたためです。
当たり前ですが、どうも人というのは、誰よりも「楽して」食っていきたいという、いや、本当に可能であれば、何もしなくても食っていけたらいいなぁなんて思っている生き物かもしれませんが、
そのためには、誰かに「寄生」していくか、「保護」してもらうか、人を出し抜くか。
なんて選択肢がある中で、もうお分かりのように、どれもこれも、決定的に人の利害を「侵食」しておるわけです。
そうなったとき、あなた以外の人間たちはこう叫ぶわけです。
「規制」をかけろ。抜け駆けしないように取り締まれ。そうならないように法案作れ!
この規制緩和の時代に、この公務員削減が叫ばれるこのご時世に、
わざわざ、人って、公務員の職種を作れって叫んでいるわけです。
ええ、公務員の人数を増やしているのは、はっきり言って、公務員なんていらない!って言っている方々なのかもしれません。
自己責任なんて、こんな複雑に組み合わさった世の中で、それを突っ張るなんて、到底無理です!何がどうなるかなんて、本当にわかりません。
元からあった「池」のある公園で、子供連れでバーベキューをしていたら、目を離したすきに子供が池に落ちて、死んでしまった!
という痛ましい「事件」においても、県に4000万円の支払い決定が出るわけです。
これ、公務員の数の増減にも、きっちり関係しますから、みんなで考えましょうね。
そういうことです。
なぜ、日常、とりもなおさず、普通に暮らしていくことができるのかというのは、そうできるように、そういうシステムを構築してきたからに他ありません。
結果、良いか悪いか、効率的なのか非効率的なのかはおいておいて、この状態を望んだのは、「我々」なんだということを良く考えてから物事は言ったほうが良いと思います。
と、思うんだけど。