アーロとスーパーマンとバットマン
「アーロと少年」
これはアニメと言ってよいのだろうか?
この「映像」は、ピクサーが手掛けてきた今までの作品の中で、トイストーリーであれ、モンスターズインクであれ、まだ、アニメを見ている気がしたが、これには開いた口が塞がらなかった。
どうやって、こんなもん、作れるんだ?
素人なんで技術的なこと含めて、何にも語れはしないが、美しいものを表現しようとしたならば、もう、何でも「違和感」ないものを、人間はリアルに表現できるようになっちまったんだな、と。
ただし、内容に関しては、もう、なんでこんなペランペランなものを作っちゃったんであろうかというくらい、自分には「合いません」でした。
幼い生き物が、「試練」を乗り越えて大きく成長していくみたいな、ストーリーなんだが、アーロが言ってみれば、ドラえもんの「のびた」状態で、試練が試練として機能していない。
お約束的で、どうしてそんな程度で、自信満々の精神状態になれるんだ!
この程度「変われるん」だったら、なんだろう、引きこもりと自称も他称もされる方々も、いけるぞ!独り立ち!というくらい。
というわけで、久しぶりにパンフレットを購入いたしませんでした。
アニメ原作の実写作品が、どうも良い評価をいただけない日本の映画が、予算的にも色々とご苦労されていることは、事実なんであろうが、
もう、なんで向こうは、大真面目に莫大な予算をかけてこういうものを作れるのだろうか。
ストーリーは本当に「普通」。
強力なパワーをもった「ヒーロー」が悪を打ち倒す戦闘の中で、それこそ、お前のせいで肉親を愛する人を失ったという、まさに「今時」の展開。
最近のヒーローものは、この展開が大好き。
お前がいなかったら、そもそも、こんな辺境たる「地球」に「度を越した」悪もこなかたんじゃね?という、本来の作品が、こうも時代にひきずられ、
俺の存在自体が「悪」そのものなのかという、誰もが答えを出せない、出しかねる「問題」に直面! スーパーマンって、こんな「屈折」してたっけ?
ヒーローものが避けて通れない、悪の「インフレ化」現象が、その規模に応じて、自分自身の存在に苦悩するという、かってないヒーローものの新展開!
これ以上、語ると色々と大変なご時世だから、多分今度に。
ああ、バットマンね。いたね。出てたよ。
でもね、どちらの役者さんも個人的には大好きで、大真面目にこういう作品に取り組んでいらっしゃるのも大好きで、言った通り、全力でお金も技術も突っ込んでくるこのエンタテーメントには、こちらも全力で敬服いたします。
内容が、いい悪いなんて、自分にとっては二の次だ!