A LOST AND FOUND

色々なものを失くしてきたような気がします。

「正義」の側に立とうとする人間にとっては、「最低賃金」「ブラック解放」はまたしても居心地のいいテーマかも。

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ふと思ったことでだらだら書いて申し訳なんだけれど、先日の選挙でも、どうしてもこれを「争点」にしたい、これをもって、支持を得たい!そういう候補者なり、政党がいたんだが、

その昔、バブルが弾けたその時代に、「年功序列」という、日本の悪弊が、日本の成長を「阻害」していると。

成果主義!を取り入れなければ、世界においていかれると、経済学者やらマスコミ、コンサル、コメンテーター一丸となって、そういうことを言いまくっていた時代があった。

そこで言われていたのが、人件費を固定経費とみて、これの負担こそ、成長を阻害している要因だと!こぞって言われたこと。

フリーターなるものから、フリーランスでいることへの「優位性」。外資が続々と参入してきたこともあって、企業なるものは、株主のために、株主への還元をするためにというドグマが唱えられ、

従業員の終身雇用は、「バカげたもの」として、特に「人件費」を悪とみるような意見が続出した。

失われた10年とかいわれた時代は、そもそも、人件費のコストとしての合理化が、相当言われた時代だったと記憶している。そして、有能な人間の証左として「転職」「キャリアアップ」が、あらたな個人ミッションとしてブームとなった。

そして、サービス産業が、そして市場の24時間が大きく注目され、人材というか、人の消費材化が最も進み、さらに、外国人労働力の存在が、異質なものではなく、急速に日常化されていった。

 

その後、経済の回復の中でそもそもの人材の絶対数が不足するように言われ、「人材の価値」が、いきなり上昇した。

 

ブラックなる言葉によって、「まともな経営」が声高に叫ばれ、有給消化もさることながら、残業の問題など、会社の「ビジネスモデル」が旧態依然のものとして、変われないようであれば、そんな会社は「存在していること自体ナンセス」として断罪されるようになる。

 

そんな会社は、社会から退場しろと。その程度の時給なり給与で事業をやっていけないのであれば、そもそも必要のない会社だと。無能だと。

 

一方で行政なり、公務員。公共サービスに向けられる「人件費」の優遇は、あってはならないものだと、激しく非難され、特に「生産性」のない、そういうサービスなのだから、高給であったら、福利厚生含めてとんでもないことだと。民間に比して、低くあるべきだと。

 

そうして、外注なり、切り離されて、民間化されたサービスは、激しく劣化し、さらに、ある自治体のバス事業に関しては、いきなりの廃線

 

しかしながら、「生産性」を求められない「公共的」なサービスは、人材を使いまわしても「維持」しろと。民間よりも低くても我慢しろと。退場するなんて行為は許されるものではないと。

 

自分の価値は自分で創造し、従属するべきものは会社だ とそれができない者は、社会から退場すべきだと、そういう風潮がメインだった時代もあったし、

そもそも平等に給与は与えられるもので、区別も差別も作業によってされるべきではない、それが不可能であれば、いかなる理由があろうとも、退場すべきなのは企業だ

今は、それが正義とされる価値観なのかもしれない。

起きていることが、事実だし、属している集団だったり、属することができなかった者たちが個別に語るものであったり、それぞれがそれぞれに事実なんであろう。

 

これも、「正義」の側に立とうとする、安易な人間にとって、とても居心地の良い、単なるテーマなのかもしれないが。