僕は信号を守って渡ろうと思います。
まもなく、カテーテル検査を行う。
2泊3日、入院することになるんだが、念のために「高額医療」の手続きを踏んでおいた。この検査で何事もなかったら、薬は多分、死ぬまで飲むことになるけど、今回の箇所においての発症は「無い」と予想される。
もちろん「ポケモンGO」が有酸素運動だなんて言うつもりはないけれど、歩くことは、この病気というか、体質というか、これを誘発した生活習慣において、必要な話だと。
まもなくレベル39になろうかという中で、相変わらず毎日、画面と向き合っている。
交差点。大きさもそれぞれある中で、特に歩行者の「信号無視」、数カ月前では、3車線対向という大きな交差点で、50歳過ぎの中年の男性が、ほぼ信号無視で突っ切ろうとして、車に巻き込まれた。
ポケジムが目の前にあったので、「立て」に行くところで遭遇した。
瞬間を見たわけではないが、車のバンパーに乗り上げるようなかたちで、車の停止とともに、横断歩道の「先」で、彼はあおむけになっていた。
救急車が来て、すぐに心臓マッサージがはじまりと、我々は、そのあたりでその場を離れたが、呆然とする運転手。後続車両含め、まさに現場を通りかかった通行人が、警察に状況説明を「淡々と」していた。
以前は、自己責任とか便利な言葉を使いまわしながら、ちんけだが、横断歩道は自由に通行していた気がする(笑)。
多分、今でも信号を守って横断する方のほうが多い。ほぼほぼそうだ。
ここで「いい悪い」との是非を言うつもりはないけれど、こういう小さいことからルールというものを、守っていくということは、最近、凄く大事だなと思うようになってきた。
ルールというものは、作りだされたもので、
人同士の利害含めての「争い」を、未然に防ぐことにもつながる。
一応、知恵と呼んでもいいかもしれないが、「俺は俺で、俺の自由だ!」と言い放つ方も、結構だが、いたとしても、自分に「騒動」がふりかかることを想定していない。
こういう人間でも、必ず、争いが起きた時、「裁定」する機関に保護なり対処を求める。自由だ!と叫んでいても、個人はかなり無力なんだよ。
どうして「殺しちゃいけないの?」という、簡単な命題の件も前に書いたけれど、言う人間に限って、殺される側に置かれた自分を「想定」できない。
こういう「リスク」をしっかりとわきまえていないと、なぜ、ルールがそこにあって、そのルールを守る、守ろうとする努力をしなければならないのか、理解できない。
個人は本当に無力なんだよ。
誰かが助けてくれるもんだというのも、幻想なんだよ。
常にルールを順守しているからといっても、最悪の事態は、本当に降りかかってくるんだから。その事態を、できるだけ、回避できなくとも、最小のダメージに「するためにも、ルール、法を「なんとか努力」して、「維持」していかないと、
力あるもの、無法なもの、無慈悲なもの(笑)そういうものに、対峙できないのである。
別の国だったら、別の「かたち」があるのは当然。
ねぇ。どうすんだよ。こっちのルールで、こっちの望みを伝えたところで、何の解決にもならんと思うぞ。ああ、これは、ここで書きすぎてはいけない話題になってしまう。
なので、僕は、少なくとも、横断歩道は信号を守って渡ろうと思っています。